(1) 戸籍とは

戸籍の「戸」とは少人数の家族集団である「いえ」を意味します。そして「籍」とは公の帳簿という意味です。つまり,戸籍とは,個人をその所属する家族集団単位毎に把握して,その結果を公の帳簿に記録したものです。

ところで,この個人の把握は,どのような地域時代においても権力者にとっては重要な問題でした。個人を把握することにより,治安維持に役立ち,また徴税や徴兵などがスムーズに行われるからです。この個人の把握の方法は,個人単位で把握する方法や家族単位で把握する方法など様々ですが,戸籍は,家という世帯単位においてその構成員である個人を把握する方法です。

つまり,歴史的に言って戸籍が編製されはじめた理由は,個人を把握し徴税などの行政目的に役立てるためであり,人口調査のために編製が始まったと言えます。ところが,現代における戸籍は,人口調査目的で編製されるのではなく,身分登録公証目的で編製されています。この戸籍の編製目的の移り変わりは,戸籍の移り変わりを理解するうえで重要です。

(2) 明治維新までの戸籍

日本の初めての戸籍は,670年に作られた庚午年籍であるといわれ,その後,庚寅年籍の成立を経て口分田の支給が始まり,班田収授法が成立したとされています。しかし,その後荘園制度の広がりなどに伴い,国家が個人を直接支配する体制が崩れたため,次第に戸籍は編製されなくなります。

ただし,その後の各時代においても住民の把握は試みられました。中世における太閤検地も住民把握の一種ですし,徳川時代における人別帳や過去帳なども人口調査の役割を担っていました。これら江戸時代の帳簿は,家族集団単位に個人を把握しようとしていたため,戸籍類似の制度といえます。

そして,幕末から明治維新にかけて近代的な戸籍が編製されるようになります。その代表例としては幕末における長州藩戸籍や,明治元年の京都府戸籍などがあります。

その後明治時代になると,明治政府は京都府戸籍を参考にして戸籍法(明治4年太政官布告170号)を発し,明治5年2月1日に施行しました。この戸籍法に基づいて編製された戸籍を明治5年式戸籍と呼びますが,干支にちなんで壬申戸籍ともいわれます。

(3) 明治5年式戸籍

明治5年式戸籍は,明治5年2月1日から明治19年10月15日まで編製された,我が国初の近代的戸籍です。

この戸籍の編製目的は人口調査です。明治政府は近代的中央集権国家の樹立を目指して,全ての国民を把握しようとしました。国民を把握することにより徴税や徴兵などがスムーズに行われ,あわせて脱藩者や浮浪者などの取り締まりを容易にして治安維持にも役立ちました。

戸籍は,個人を居住地において家(世帯)単位に登録したので,住民登録機能を備えることになり,また,個人の世帯における身分も登録したので,身分登録機能も備えていました。

またその編製方法は,6年毎に編製すべきものとされ,現在の届出による動的登録とは違い,一時点における静的登録制度とされていました。この6年毎に戸籍を作り変える制度は,日本の古代の戸籍が六年一造の法のもとに編製されていたことに由来します。しかし,近代社会への移り変わりとともに人の移動が盛んになり,戸籍を6年毎に編製することが不可能となったため,結局明治5年式戸籍が編製され直すことはありませんでした。

また,戸籍簿は屋敷の番号順に編製されました。明治維新当時は,土地に番号は付されていなかったため建物に番号を振り,その番号順に戸籍を編製したのです。

ちなみに,土地に番号が付されるようになるのは,明治6年の地租改正が発端です。この地租改正を発端として,土地の商品化が図られ,資本主義社会への移行が進むことになります。

(4) 明治19年式戸籍

明治政府の行う政治を実力で担保したものが,新しい軍隊や警察です。そして,この軍隊の充実を図るため,明治6年1月に徴兵令が施行され,国民皆兵主義が軌道に乗り出しました。

この徴兵制を可能にしたのは,明治5年式戸籍であり,戸籍の編製が徴兵対象者の把握を可能としたのです。しかし,徴兵令には,戸主・嗣子・嫡子などを免役にするという規定があったため,国民は徴兵を逃れるためこの免役の規定を悪用するようになります。具体的には,分家や廃絶家再興等の方法を用いて徴兵忌避が行われたのです。

また,従来の戸籍事務は乱雑であり戸籍簿の管理もずさんでした。

そのため,明治政府は戸籍法を改正する必要に迫られ,明治19年内務省令19、20及び21号により戸籍手続を統一し,明治5年式戸籍は明治19年式戸籍に改められることになります。

この改正は,戸籍制度の目的を変更するものではなく,戸籍様式や取り扱い方法を変更して,戸籍の記載内容の充実を図るためのものです。従って,明治19年式戸籍の編成目的は,明治5年式戸籍と同じく人口調査のままでした。

この改正に伴う変更点はいくつかありますが,静的登録から動的登録への変更が大きな改正点と言えます。明治5年式戸籍は,6年に一度編製変えを行う予定の静的登録制度でしたので,正確な人の移動を把握することは困難です。そのため,戸籍の記載内容に変更が生じた場合には国民に届出を義務づけ,その都度戸籍に記載するようにして、動的登録の制度へと変更したのです。これにより,政府は正確に国民を把握することが可能となりました。

また,戸籍に記載された者が全員除籍となった場合には,その戸籍は除籍簿として管理するようにして,除籍制度が新設されました。さらに,戸籍の編製順が,屋敷番号順から地番順に変更されました。これは,明治政府が地租改正に続いて土地台帳の整備を進めたことにより,私有地にそれぞれ地番が振られ,地番で居住地を把握することが出来るようになったためです。

この明治19年式戸籍は,明治19年10月16日から明治31年7月15日まで編製されました。

(5) 明治31年式戸籍

明治31年7月16日に民法が施行されたことにより,戸籍にも大きな転換期が訪れます。

それまでの戸籍編製の目的は国民の人口調査でしたが,民法が施行されると,戸籍法は民法の手続法的付属法の性質を帯びるようになります。つまり,民法が家制度を創設したことにより,戸籍は「家」を単位に編製されるようになり,民法が定める各種身分変動が戸籍の届出により効力を生ずるようになったため,戸籍は,その登録公証を目的とする公簿としての役割を担うことになったのです。これにより,戸籍は,従来の行政が国民を把握するための制度から,国民の身分関係を登録しそれを公証するための制度に変貌しました。

民法と同時に,新しい戸籍法(明治31年法律第12号)が,明治31年7月16日に施行されました。これにより編製された戸籍が,明治31年式戸籍です。この戸籍は,明治31年7月16日から大正3年12月31日まで編製されました。

この明治31年の戸籍法の特徴の一つとして,身分登録簿の新設があります。届け出られた身分事項の全ては,まず身分登録簿に記録し,その中の重要な事項を戸籍簿に書き写したのです。

(6) 大正4年式戸籍

明治31年の戸籍における身分登録簿は,身分事項を戸籍簿に書き写すなどの手続きが煩雑であり,利用頻度が高くなかったため廃止されることとなります。

戸籍法改正法律(大正3年法律第26号)が大正4年1月1日に施行され,従来の戸籍法が改正され,戸籍の様式も変更となりました。身分登録簿が廃止されたことにより,戸籍簿の記載事項が精緻なものとされ,身分変動の届出があった場合には,直接戸籍簿に記載するようになりました。

この大正4年式戸籍は,大正4年1月1日から昭和22年12月31日まで編製されます。

また,戸籍法改正法律にあわせ,寄留法(大正3年法律第27号)が制定され,戸籍法と寄留法を分離しました。この寄留法とは,戸籍の所在地に居住しない者を把握するためのもので,90日以上本籍地を離れて生活する者は,寄留簿に記録されることとなっていました。

(7) 現行戸籍

日本国憲法が施行され,その理念に合致するように民法が改正されるに至り,民法の手続法的付属法である戸籍法も,改正の必要性に迫られました。民法の一部を改正する法律が昭和23年1月1日に施行されますが,その施行にあわせて,戸籍法を改正する法律(昭和22年法律第224号)が施行されることになります。

従前は,戸籍は家を単位に編製されていましたが,日本国憲法は家制度を否定しましたので,家を単位とする編製を改め,夫婦と氏を同じくする子をもって編製することになりました。

その後,戸籍法及び住民基本台帳法の一部を改正する法律(平成6年法律第67号)が施行され,戸籍の電算化が進められるようになり,現在もその作業が続いています。

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